地域おこし協力隊を終えて。結局、協力隊って何だったのか。


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昨日、晴れて地域おこし協力隊3年間を卒業しました。

どうも、“元”地域おこし協力隊のソーです。

 

いやー、協力隊、本当に楽しかった。

なんか、これまでの人生において経験したことのない時間の過ごし方でした。

8割がた自由に動くことが許されてて、自由裁量だから正直手を抜いてもバレないし、労働時間は週35時間程度、残業もないからマジでホワイトな生活でした。

ただ、3年後には仕事がなくなるということが確定された状況の中で、いかに自分に厳しく、厳しさの中に楽しみを見いだせるか、という自問自答の日々でもありました。

今楽をすれば、3年後泣くことになる。

半分、どうにかなるだろうって思いながら、半分、今でさえ明日が不安になる。

 

まちづくり、まちおこしという正解のない問いの中をさまよいながら、自分が正解だと思うものを信じて突き進んでいく、そんな感じでやってきた地域おこし協力隊。

がむしゃらに走り抜けて3年たった今、結局「地域おこし協力隊ってなんだったんだろう?」って考えてみると、

 

 

…結局なんだったんだ?

という感覚が残るばかり。

本当に長いようであっという間の時間でした。

 

とは言っても、この3年間「よくわかんなかった」じゃ終われないので、しっかりと最後に振り返りをしておきたいと思います。

以下、11/28の報告会で使った資料をもとにまとめていこうと思います。

題して、

結局、地域おこし協力隊って何だったのか。

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協力隊初日に前楢原市長より委嘱状をいただいたときの様子です。

スーツを着たのはこの日と、その次の日くらいで、僕が僕らし活動するために、ということで私服がオッケーになり(ほとんどの協力隊はスーツ着てないけど)、ヒゲも長髪もそして和服も許していただきました。

たかが服装だけど、規則とか、この辺の感覚ってものすごく大事で、公務員でありながら、公務員ではないという立場を役所職員がしっかりと理解しているかが、協力隊が協力隊として力を発揮できるかどうかのポイントになってくると思います。

 

僕は久留米で生まれ育ち、大学で京都(本当は滋賀だけど)、休学して東京に出、2、3年東京でフリーライターとして働いて、久留米市城島町に戻ってきました。

いわゆるUターンというやつですね。

ただ、僕はUターンという言葉に違和感があって、僕は久留米に戻ってきたという感覚はなく、東京に住んだその先に久留米での生活があったという感覚でいます。

決して引き返したわけでも、ターンしたわけでもなく、常に僕の道は一本道、まっすぐ進んできました。

 

このUターンという言葉に含まれる「出戻り」感、「地元に帰ってきた」感≒「都会の生活についていけず、帰ってきちゃいました」感が地方暮らし、田舎暮らしの芋臭さを演出しているんじゃないかと考えています。

  • 都会=勝ち、価値、かっこいい、クール
  • 田舎=負け、ダサい、いもい

のイメージは未だに払拭できてませんね。

まぁ、だからこそ、これからの時代地方の可能性にいち早く目を向けられた人が先行者優位を取れるんじゃないかなって思ってます。

実績1:SakeViva

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僕が城島町でやったこと、その1。

日本酒のサイト「SakeViva」の立ち上げ。

日本酒のまち、城島をPRするために作り上げたこのサイトは、2年半で総PV数347万となりました。

月間最高28万PVですが、今はほとんど触れてないので月間10万くらい。

ただ、思ったほどアドセンスもAmazonアフェリエイトも稼げなかった。

導線やリンクの付け方がよくなかったんだと思います

 

  • 一からメディアを立ち上げて、どれだけPVを集めることができるか。
  • 日本酒の発信を通してライターとしてのスキルを磨く。

この二つの実験という意味では、成功と言っていいでしょう。

実績2:あしたの城島

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SakeVivaの終着点として立ち上げたのが城島のEC「あしたの城島」。

SakeVivaからの流入を狙っていたんですが、こちらも導線が良くなかったのか、思ったほどPVが伸びませんでした。

そして売上にもほぼほぼ貢献できませんでした。

ひとつの敗因としては、「○○町の通販サイト」は訴求力が弱いということ。

例えば、「佐賀県で取れたみかん」「滋賀県で作った豆腐」「鳥取で作ったウィンナー」と言われても買う気しないでしょ?

それと一緒で、人が何かを買うときってどこで取れたってそんなに大事な要素じゃないんですよね。

城島で取れたお米、だけで買う人は城島町出身者か、現城島に住んでいる人(遠方の人への贈り物)くらいなもんで、ほとんどの人は、それがどんなに美味しいのか、安いのか、かっこいいの、可愛いのかが判断基準ん煎なってるはずで、ただ、あしたの城島ではそこを表現することができなかった。

城島で作られたものだから買ってね!というアプローチしかできなかった。

敗因はいろいろあるんだろけど。おそらくこれが最も大きな原因だったんじゃないかと思っています。

実績3:ブログ

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結局最後は忙しくなってほとんど更新できませんでしたが、地域おこし協力隊として特に考えたこと、思ったことはすべてここに書き残しています。

現協力隊、未来の協力隊、まちおこし人、地域の方、なんらかの人に何らかの形で伝われば幸いです。

実績4:ドローン撮影

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YouTubeで「城島 ドローン」と検索してもらうと、ほぼ全ての映像が出ると思います。

ドローン、映像編集技術に関しては、スキルをもっと磨かなきゃなーという感じです。

実績5:新聞、テレビ

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このブログを読んでくださったことがきっかけで西日本新聞の連載、そしてNHKの所さんの番組出していただきました。

西日本新聞の連載コラムに関しては再来週の火曜日11日がラストなので、こちらもよろしくお願いします。

実績6:古民家カフェUNI

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空き家の活用と自らの定住、そして地域のコミュニティスペース、地域内外の交流拠点として立ち上げたのがUNI。

8ヶ月間、土日祝日のみの営業で、のべ2200人のお客さんに来ていただきました。

今後の活動の核となる場所で、ここがあったから、僕はこの土地に定住することを決めました。

何も考えず、とりあえずカフェでもやってみるか、で初めて、走りながら次の展開を決めてきましたが、多くのお客さんにも恵まれて、「地域唯一のカフェ」の役割を果たせているなと実感しています。

今後は、カフェとしてだけでなく、魅力的な空間、場所、何かを生み出せる施設、コミュニティ、アトリエとして使っていけたらと思っています。

実績7:定住(何年住むかはわからない)

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もともとは定住するつもりはまったくなく、協力隊のキャリアやつながりを活かして、3年後は何かどこかで仕事ができればいいなくらいに思ってました。

ただ、空き家を手に入れ、UNIという場所を作って行く中で、グローバルな時代、大移動時代だからこそ、一個の場所に留まって「創り上げる」「育てる」という経験が価値になっていくんじゃないかと思うようになりました。

ノマドのように、いろんなところを転々としながらでも生きていける時代になったからこそ、そういう人を受け入れる側にこそもっともっと価値があるんじゃないか。

ともすればフリーやノマドのその先を行っているのが場所持ちなんじゃないかと。

場所持ち=東京に住んでる人ができない生き方。

世界中を飛び回って仕事をするやつができないかっこいい生き方、一つのところに留まって、そういう人たちを受け入れる。

面白い人に会いにいくんじゃなくて、面白い人が来てくれるような場所を作って行きたい、結局これが僕が地方に住む理由となりました。

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地域おこし協力隊になって一番耳にした言葉が「まちのために」でした。

何をやるにも、どこに行っても、誰と話しても、みんなキーワードのように「まちのために」といいます。

使いやすくて、耳障りがよくて、便利な言葉。

の割には中身がなく、ときに脅迫的にも使われる言葉。

「まちのためやけん、お前、協力するよな?」

「まちおこししよるなら、もちろん、お前も来るよな?」

「お前はまちのために働きよるんじゃないんか?」

この言葉を聞くたびに、僕は「まちってなんだろう」「地域ってなんだろう」と考えるようになりました。

そして結局答えは出ませんでした。

 

いや、答えなんて本当はなくて、「まち」なんて結局は個の集合体に過ぎないんだというところに行き着きました。

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まちづくりに正解がないのは、そもそも「まち」という単位で人は動いていないから。

昔みたいに近所付き合いが絶対的に必要な時代じゃありません。

祭りや地域行事などが、年間で一番ワクワクするイベントではなくなりました。

マイホーム、マイカー、出世、が絶対的な価値、幸せではなくなったように、何に幸福を覚え、何に価値を見出すかは人それぞれという時代です。

そんな時代に、地域やまちという言葉で多人数をひとつの価値に押し込めて、「まちのために動け!」というのがそもそも時代錯誤だったんだということに気づきました。

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しかしながら、「まち」は「まち」であろうとする。

誰が主導してるわけでもなく、みんなが実体のない「まち」を崇拝することによって、いや、自分だけが爪弾きに合わないように、その幻想を幻想だと言えず、自分たちの首を絞めているんです。

「こんなイベントやったらまちに人が来て、活気が出るんじゃないか?(俺は参加しないけど)」

「もっとまちのためになることを考えましょうよ!(私はアイディアなんて持ってないけど)」

「まち」というものの中では、多数派、均一化こそが正義(に見える)。

みんな心の中で面白くないと思いながらも、面白いということにして、押し付けあう。

だから祭りもイベントも参加者が少なくなっている。

にも関わらず、価値あるものだから、誰かがやんなきゃだから、と言って、無理やり誰かに押し付ける。

これが、まちづくりが失敗に終わる例だと僕は思う。

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じゃあ、逆にまちづくりって何?と聞かれたら、僕は

  1. 町内で活躍プレイヤーを増やす
  2. 各プレイヤーの影響力や価値を大きくする
  3. プレイヤー間での協力、連携を促す
  4. ひとつ上のレイヤーから俯瞰で見て、プレイヤー属性のバランスを調整する

だと答えます。

僕が協力隊としてやったことは、1と2、自らがまちの中のプレイヤーとなり、これまでこのまちになかった色の粒を落とすということ。

そして3年でその粒を大きくし、周りに可能性を見せることで、あとに続くプレイヤーの芽を育てることでした。

このカフェをオープンしてから、一緒に何かやりたいです、自分もこういうカフェをつくりたいんですけどどうすればいいですか?、こんな面白いことやってるんですけどどうですか?

という話を各方面からいただけるようになり、次のプレイヤーとなりうる人の芽をひとつや二つ出せたかなと思ってます。、

 

一般的に地域おこし協力隊が外部からどう見られているか、といえば、おそらく3とか4をする人なんだと思います。

地域資源の掘り起こし、プランニング、情報発信、新商品開発。

いわばコンサルのような、自分はプレイヤーというよりマネージャーという感覚。

都会に住んでた一人の若造がまちという巨大な虚像に立ち向かい、まちがそれまで抱えてきた闇をたかが3年で解決しようとする。

そんな無理難題を協力隊自身も、地域の人も、課題として捉えて立ち向かおうとする。

だから多くの場合、協力隊は失敗に終わる。

自分がプレイヤーじゃないから、3年終わったあとに自分の居場所がない。

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じゃあ、地域おこし協力隊はどうあるべきか。

ずばり開拓者であれ!

自分自身が個となり、まちにひとつの点を落とす。

地方、地域、田舎にはまだまだ多くの点は落ちていません。

だからこそ、若造であれ、スキルが何もない僕みたいな凡人でもひとつの点になることができます。

まずはそこから。

その点がどんなに小さくても、ゼロから1を作ったという成功例は誰かの糧になるし、何より自分の努力がそのまままちの発展につながります。

多様な人がいようとも、僕らはあくまで凡人。

だから、どんなに自分がニッチな考えの持ち主だと思っていても共感してくれる人は必ずいます。

面白いと思ってくれる人は必ずいます。

自分が思う幸せなまち、地域、コミュニティを全力で作ることが、そういう人のアンテナに触れ、そこからコミュニティへと発展していきます。

そのための一歩を協力隊は開拓しなければならないんです。

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協力隊の中で一番重要なミッションは、まちに大企業を連れてくることでも、世界中で売れるようなヒット商品を作ることでもなく、移住を完了させることです。

地域おこし協力隊は都会に集まりすぎた人を地方へ流すために始まった制度です。

どんな手段でも都会から地方へ移り住むことができれば、協力隊としてのミッションはクリアです。

そのために月20万近い給料を貰い、地域の中で仕事をしているんです。

都会から一人の人間が田舎町に移住する。

数で見ればたった1かもしれませんが、その一人が歩いたあとには必ず道ができます。

都会からその地域に通ずる道ができるんです。

その田舎町は都会の人間でも住める場所なんだ!と。

 

逆に、地域おこし協力隊ほど恵まれた移住制度を使っているのに、結局移住できなかったという事例は、そのまちにとって、めちゃくちゃマイナスだと思います。

3年間もの手厚い補償があるにも関わらず、移住できない、移住しないって、よっぽどそのまちが最悪な環境だということをPRしているようなもんです。

これは協力隊本人もそうですが、自治体職員、地域の人も肝に銘じておいたほうがいいです。

協力隊すら逃げ出してしまうようなまちには誰も住みませんよ?

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最後に、この3年という準備期間を経て、僕がこれから何をしていくかということをお伝えしておきます。

まずは、先程も言ったように、UNIという場所をさらに魅力的な場所に育て上げ、コミュニティとして大きくします。

具体的にはランチ、ディナー等、UNIを使ってもらえる幅を増やし、その中でイベント等主体的に参加できる機会を作っていきます。

そういった活動を通して出会った人と、一緒に新しい価値を創造していきます。

ここに来れば誰かに会える、何かが起きる、何かが起こせる、そんな場所にして、いろんな人を巻き込めるような空間にします。

特に若者。

自分は何もできない、したいこともない、けど何者かになりたい、と悶々としている若者のエネルギーを最大限に発揮できるような仕掛け、仕組みをかんがえていきます。

最後に、これまでにつながりを作れた役所や自治体、地域やまちづくり団体等とまちというものを俯瞰で見ながら、まちに必要なものを考えていきたいと思います。

 

当面はUNIの平日営業を軸に、ライター、デザイナー、協力隊系の講師等をやっていく予定です。

既に、12月、1月、3月と、協力隊関連の仕事が決まってますので、バランスを見ながら、自分のしたいことを全力でやっていきます。

それこそがまちに一番いい影響を与えるものだと思ってるから。

 

これまで支えてくれたみなさん。

本当にありがとうございます。

このブログはもうすこし続けようと思ってます。

(次の展開も考えてますので、引き続きお楽しみに)。


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